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Voice Of LIfe〜体験者からのメッセージ〜 |
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しゃっくり娘
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2001年春
結婚2年目、そろそろ子供が欲しいと思っていた28歳の春、右胸にしこりを見つけた。嫌な予感は大当たりで、それから、あれよあれよと愕然としたり呆然としたりしながら、家族親戚友人同僚を巻き込みつつ、大波小波あらゆる波にのみ込まれて流れ着いた、2年間だった。
診断は乳頭腺管がん、サイズは3cm弱、乳腺全体に微細石灰化があり、温存は無理。
右胸全摘とリンパ節郭清(レベル2)の手術を受け、病理診断の結果、リンパ節転移(1/18)、ホルモン受容体なし、で、化学療法を受ける(EC4クール+タキソテール4クール)。2002年1月に終了。その後は無治療で検診のみ。3月から仕事に復帰した。
主治医より、抗がん剤の影響で卵巣機能が停止する可能性もあると言われていたが、幸い、治療終了後数ヶ月で生理は戻る。妊娠はOK?の質問には、「できるなら構わない、が、1年くらいは空けるように」との返事だったので、2003年には一応解禁。
術後2年、復帰後の仕事にも慣れ、乳がん発覚直後の衝撃や動揺や、その後の不快感、不気味な恐怖感なども薄れつつあった。一時は離婚したほうがいいのでは?と思ったこともすっかり忘れていたが、妊娠出産となると、乳がんを患った者が、していいのかどうか、迷いは正直あった。
もし万が一・・・私が倒れたら、夫は私を看病しながら、子育てをする羽目になる。
もし万が一・・・私が死んだら、父子家庭になる。旦那の収入は?聞かないで・・・だし、
子育て能力は?お世辞にも子煩悩とは言えない、生活感のない夫である。
母子家庭なら(不謹慎失礼)まだしも、あまりにも大変そうである。
しかも、私はとても子供好きだが、旦那はそれほどでもなさそうだった。
何となく、そんな話も言い出せず、一人で、何となく、勝手に諦めていた。
でも、考えと現実はまったく関係ない。(計画性もなかった;)
2003年秋 妊娠した。
何の覚悟も相談もしていなかったけど、そうなったら、そうなっただ。
周りに特に止める人もいなかったので、当然、産むことになった。
夢だった妊婦生活は、大変たのしかった。
ただ、どこかで、まさか、そんな上手くいくはずがない、と思っていた。
旦那は密かに、正常に育っているか(障害がないか)調べたかったらしい。(→私に阻止されて、断念したが。)
お腹の子は、よく、しゃっくりをした。胎動で胎児の命を感じる妊婦は多いと聞くが、私の場合は、ぴくっ、ぴくっという微妙な動きばかり感じ、これは痙攣?麻痺?抗がん剤の影響!?と不安だったが、医者に『しゃっくり』と聞いて、安心した。
普通の妊婦でも、不安になるだろうが、乳がんだった妊婦は、何かにつけて、どこかしら、人一倍心配されていた。家でも、職場でも。もちろん、本人も。
だから、余計に、今の楽しい気分を、めいっぱい楽しもうと思って過ごしていた。
2004年夏 出産した。
意外にも、すんなり、順調に元気な子が生まれてきた。夢のようだった。
実物を見て、やっと、実感した。乳がんでも、ちゃんと出産できた!
授かりモノだな、と思う。
ありがたい、ありがたい。本当に。
心配していた授乳も、幸い、片方の乳だけで足りているようで、問題なく育っている。
今は、毎日、子供の世話が楽しいし、忙しくて、乳がんのことは気にならない。
ただただ、可愛いし、楽しい。
普通のお母さんのように、時々しんどくなって、いらいらもするけど。
普通の親子をやっている。このまま、ずっと、そうしていたいと願う。
この子が、私の右胸に気づく日が、いつか、やってくるのだと思う。
その時は、なんて言おう?と思う。
その前に再建しておくのも、一つの作戦だし、
そのまま、あるがままの姿で話すのもいいような気もする。
ただ、この子(娘)が大きくなったとき、私と同じように乳がんになったら・・・と思うと辛い。母親が乳がんである娘は、リスクも高いはずだ。
もしそうだったとしても、その時までに、いい治療法が開発されて、
「乳がん」が、風邪の一種?みたいに簡単に治りますように。
ちなみにやっぱり、生まれてからも、よくしゃっくりをする。
あんなに心配だった「ぴくぴく」は、
今は、かわいい、かわいい、ただのしゃっくりだ。
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つまき(2005.4.22) |
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